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229

古代アンデス文明を訪ねて ペルー・ボリビアをゆく(11日間)

販売価格(税込):
658,000
関連カテゴリ:
海外旅行
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すべて > 中南米

予定日:①2018年1月22日(月)~2月 1日(木)11日間
     ②2018年2月 5日(月)~2月15日(木)11日間
pdf形式のパンフレットはこちらからダウンロードできます。



古代アンデス文明を訪ねて
ペルー・ボリビアをゆく(11日間)

 


◆あまりにも巨大で謎めいた古代アンデス文明を巡る・・・

 インカ帝国の崩壊とともに終焉した古代アンデス文明。その3500年に及ぶその歴史には、驚くべき技術や、いまだ解明されていない謎が多く残されています。古代アンデス文明というと、すぐにインカを思い浮かべる人がほとんどだと思われますが、このインカは15世紀末から16世紀前半にかけての100年にも満たない短命な文化の一つにすぎません。実際にはインカに先立つこと2000年以上も前に、人々は巨大な神殿を作り、見事な土器を制作しており、研究者は、これらの総体をアンデス文明と呼んでいます。

 この度は国立科学博物館の「古代アンデス文明展」にあわせ、ツアーを企画致しました。この旅行ではペルーとボリビアに焦点をあて、古代アンデス文明がどのように発展し、変遷していったかを考察するとともに、空中都市マチュピチュ、ナスカの地上絵、天空の鏡ウユニ塩湖というアンデスの三大絶景を巡る内容となっております。
是非この機会に皆様お誘いあわせの上、ご参加賜ります様、お願い申し上げます。

 

●アンデス文明―南アメリカ大陸のアンデス山脈の高原とその周辺の文化の総称

 南米大陸のアンデス山脈中の高地やその周辺部に生まれた、紀元前1000年頃から紀元後16世紀初めまでにおよぶ、独自の文化を総称してアンデス文明という。

 前1000年頃のペルー北部におこったチャビン文化が初めて広範囲、普遍的な広がりを持つ文化として登場した。紀元前後から開花期といわれる北部のモチカ文化、海岸部のナスカ文化が現れ、同じころアンデス中央部におこったティアワナコ文化が6世紀頃からワリなどを中心に広範囲に広がった。

 11世紀頃に北部からおこったチムー帝国が一帯を支配し、15世紀に急速なインカ帝国の出現を迎え、最高潮に達する。この時期をインカ文明ともいう。インカ帝国は16世紀にスペインの征服者ピサロによって征服され、アンデス文明も消滅するが、その社会や文化の伝統はスペインの植民地支配下でも生き続けている。

〇農耕の開始=チャビン文化:
 約1万年前に南米大陸に移動し長い狩猟採集生活を営んでいたモンゴロイドが、前1200年頃に土器をつくり
トウモロコシとジャガイモを栽培する農耕段階に入った。それから500年ほど経って、アマゾン上流に突然、巨大な神殿、雄渾な土器、石の彫刻、黄金細工を伴う文化が現れた。それがチャビン文化である。この文化はまたたくまにアンデス地帯一帯にひろがったが、それは政治的な統合や軍事的な征服によるものではなく、宗教的な人間行動が文化を広めた結果と考えられている。

〇開花期:
 チャビン文化は前500年頃、急にアンデス地帯から姿を消す。その原因は明らかではないが、おそらく住民の信仰の内容が変わり、強い地方意識が各地におこってきたように思われる。その背景にあるのはおそらく集約的灌漑農耕の発達である。チャビン文化後「前開花期」が約2世紀続き、次に各地に現れたものが、北部のモチカ文化、南海岸のナスカ文化が、「開花期」といわれる地域文化で、それが6世紀以上続く。

〇大都市形成期(ティアワナコ・ワリ文化期):
 開花期に並行してチチカカ湖周辺の山岳地帯のペルー・チリ国境付近からボリビアにかけてティアワナコ文化が起こった。その影響のもとで、500年頃からワリ文化が急速に広がり、開花期の地域文化は消滅して再び広範囲な普遍的文化の時期となる。アンデスの文化が均質化された後、いくつかの大都市が現れ、国家が形成されていく。

〇地域国家の形成からインカ帝国の統一へ:
 1000年頃からティアワナコ・ワリ文化は頽廃し、各地に大都市が出現、その中からかわってアンデス北部にモチカ文化を継承したと思われるチムー帝国という有力な国家が形成される。他にもいくつかの国家が各地に興亡する中で、12世紀頃にクスコ周辺に起こったケチュア族が有力となり、15世紀にチムーなど周辺諸勢力を圧倒して大帝国を建設する。このインカ帝国は16世紀に入って内紛が発生して動揺したが、そのような時期にスペインのピサロによる征服が始まり、1533年に滅亡する。

 
 


●アンデスの黎明 
 (http://www.kobemantoman.jp/sub/61.htm 世界史の目-Vol.61-より抜粋)


 南米大陸の西岸に連なるアンデス山脈は、チリの首都サンティアゴ北東の最高峰アコンカグア山(6960m)、ボリビア西部にアルティプラノ(ボリビア高原)、ボリビアとペルーとの国境に淡水のチチカカ湖があり、大自然に囲まれながら、現在多くの高山都市がある。この山脈一帯には、古代には多くの文明が存在し、高地に適した家畜(リャマ、アルパカなど)が飼育され、トウモロコシやジャガイモ、サツマイモを産出していた。
 1万5千~2万年前、モンゴロイド(黄色人種)の一部が、ベーリング海峡が地続きのときに移住し、その後南北に拡散、これがインディオ(インディアン。インディヘナ。コロンブスが航海到達地をインドと信じたことに由来)であるといわれている。彼らは、前述のトウモロコシやジャガイモなどを基盤とする農業社会を形成し、灌漑農耕や段々畑を建設、また漁業でもペルー海流の豊富な資源を活用した。こうした多様な食料生産を発展させていきながら、チャビン文化(B.C.1000頃。ペルー北部。代表遺跡チャビン=デ=ワンタル。神人像や巨石建造物)・モチカ文化(モチェ文化。1-8C。ペルー北部。モチェ河流域)・ナスカ文化(1-8C。ペルー南部。カワチ遺跡、彩文土器、地上絵が有名)・ティアワナコ文明(1-12C。ボリビア)・ワリ文明(7-10C)といった文化・文明が紀元前後におこった。
 これらの古代文化・文明は、総称してアンデス文明と呼ばれるが、旧大陸の四大文明とは違い、文字の発明がなかった。ただ、文字に近い用途を持つ文化があり、これはキープ(結縄。けつじょう)と呼ばれる。縄の結び目の数と位置によって数字を表記し、また色分けして対象の種類を示すとされている。家畜を数えて記録するためのものであったらしい。
 さらにアンデス文明は、車(車輪)や鉄の製造も知らず、金・銀・青銅器の製造にとどまったことも特徴である。道具の発展においては、例えば農耕では土を掘る棒、武器では棍棒など、あまり発達していない。

 
その後モチカ文化を継承したチムー王国が、モチェ河流域の都市トルヒーヨの辺りにおこった(12-15C)。チャンチャン遺跡を残したこの王国は、周辺の小国家を併合して織物や金属工芸など高度な文化を残したが、このチムー王国を屈させ、最後にして最大、最強のアンデス文明を築いたのが、ケチュア族(インカ族)と呼ばれるインディオによって建設されたインカ帝国(1200頃-1533。首都はペルー高原のクスコ)である。

 15世紀後半に強大化したインカ帝国は、アンデスの小国家を次々と支配下に入れ、北はエクアドル、南はチリに至るという2000kmの大領域であった。太陽神の化身であるインカ(王)を頂点として世襲化された君主制国家で、称号は"サパン(神聖王)"を用い、13代続いた(初代王はマンコ=カパック)。ティアワナコ文明から石造技術の知識を得て高度な宮殿や神殿を建造し、また青銅器の製造や、チムー王国から受け継いだ金属工芸も発達させた。さらにキープも発展して、人口統計(毎年)など有効に利用された。道路(王の道)も整備され、各地に宿場が設置され(駅伝制)、あわせて飛脚などの通信制度もおこされた。
 農業技術も受け継がれ、段々畑や灌漑施設などが整備された。代表遺跡として、クスコ北方にある、1983年に世界遺産に指定された都市マチュ=ピチュがある。標高約2,500mの急峻な尾根にあり、じゃがいもなどが栽培された数十段の段々畑や、巧みに積まれた多くの石による建造物が整然と並んでいる(敷地面積は10平方キロメートル以上)。

 ただ、この高度なインカ文明を現出したインカ帝国も、地域主義を克服することができなかった。第11代皇帝ワイナ=カパック(位1493?-1525?)の時に分割統治となり、子ワスカル(?-1532)はクスコに拠点を置き、ワスカルの弟アタワルパ(1502?-33)はエクアドル地方のキト(現エクアドル共和国の首都。赤道を通る)に自身の拠点を置いた。1525年頃ワイナ=カパックの死去に伴いワスカルが第12代インカ皇帝として即位すると、クスコ軍率いるワスカルとキト軍率いるアタワルパとの間で内戦となったが、結局1532年にアタワルパのキト軍がクスコ軍を撃破、アタワルパは第13代インカ皇帝となった(位1532-33)。


 
ワイナ=カパック帝の頃から、ヨーロッパ人航海者による大航海時代が全盛を極めたが、特にスペインでは、1513年にパナマ地峡を横断して太平洋("南の海")に到達した探検家バルボア(1475頃-1517)が、南の海に黄金帝国(インカ帝国)があるとの噂を聞きつけ、その探検を志したが、バルボアの名声に嫉妬したパナマ総督によって、ありもしない反逆罪の疑いをかけられ処刑された。このバルボアの探検に同行していた士官フランシスコ=ピサロ(1470/75/78-1541)は、バルボアの達成できなかった黄金のインカ帝国を探るため、1524年と26年、同僚のアルマグロとともに、コロンビアなど本格的に南米西海岸を探検した。そして1531年、ようやくインカ帝国を発見、180人の兵士と27頭の馬を引き連れてアンデス越えを果たしたピサロ軍は、カハマルカ(ペルー北部)でアタワルパ帝と会見、キリスト教改宗を強要したが帝に拒否されたため、遂に帝国内に侵攻した。

 インカ帝国では、内戦が終わり政情も安定したかに見えたのもつかの間の出来事であった。2万に及ぶインカ帝国軍は瞬く間に撃破され、アタワルパ帝はカハマルカで捕らえられ、廃位させられた(1532)。廃位後アタワルパは、釈放を条件にピサロ・スペイン軍に大量の金銀や財宝を供出したものの、1533年7月、絞首刑となった。同1533年ピサロはクスコに進軍して同都を陥落、広大なアンデス一帯に多くの文化と歴史を残したインカ帝国は、一瞬にして滅亡した(ペルー征服)。こうして、スペイン人のアンデス入植が始まった。
 ピサロはその後、「諸王の都」と称したリマ(現ペルー共和国首都)を建設(1535)、これらの功績によりスペイン王カルロス1世(位1516-56。神聖ローマ皇帝カール5世。位1519-56)から侯爵を授かった。しかしアンデスの征服地では、多くのインディオを殺害し、略奪を行った非道ぶりから、残忍・貪欲・無慈悲が揃ったコンキスタードレス(征服者)として、悪名高き存在として脳裏に刻まれた(のちピサロはアルマグロと支配地をめぐり対立、アルマグロを殺害するが、アルマグロの子によって、1541年、リマで暗殺された)。

 インカ帝国征服後のスペインでは、大量の金銀が持ち込まれ、その5分の1は国王に献上された。特に銀鉱においては、1545年に発見されたボリビアのポトシ銀山で、インディオの強制労働により大量に採掘された。持ち込まれたこの銀は非常に安価なため、スペインでは通貨価値が低下し、物価が2~3倍にまで高騰する現象がみられた。しかもこの物価高騰の波が、当時の貿易の中心地アムステルダム(オランダ)に及ぶと、西欧諸国に影響した。これを価格革命と呼び、これにより、南ドイツなどヨーロッパ各地の銀山が衰退し、これまで、地中海やバルト海で行ってきた貿易活動は、舞台が大西洋へと移り、アメリカ大陸への入植は進展していくのである。
 
 
●ペルー PERU 世界遺産と黄金の国

●世界遺産「ナスカの地上絵」
 

 果てしなく続くペルー南部の乾燥地帯に描かれた謎の地上絵。紀元後、約800年にわたって栄えたナスカ文化の時代に描かれたこれらの絵は、直線や幾何学図形、動物、魚、虫、植物などさまざま。上空からでなければ分からないほどの巨大な絵を残した理由は、未だに解明されていない。 ナスカ文化は地上絵に見られるように、高度な技術と豊かな絵心を持った人たちがたくさんいたと考えられる。その証拠に、ナスカの織物はプレ・インカ文化のなかでもとりわけ美しく、土器に描かれた抽象画ひとつとっても、ナスカ時代ならではのものが多い。

 

 ナスカの地上絵はペルー共和国のパンパ=コロラダと呼ばれる盆地に描かれています。パンパ=コロラダはペルーの南海岸とアンデス山脈のあいだに位置しており、小石が地面を埋め尽くす乾燥地帯です。
この場所は年間を通して雨が少なく水はけも良い地層であったため、非常に長い期間ナスカの地上絵を保存することができました。ナスカの地上絵を描いた人々はこのような場所の特性を活かし、後世にまでこれらの絵を残そうとしたのです。
 

 

 


 


 

●マチュピチュの歴史保護区

 尖った絶壁の山々がそびえるウルバンバ渓谷の山間、標高2,280mの頂上にあるマチュピチュマチュピチュとは老いた峰を意味します。山裾からはその存在を確認できないことから“空中都市”とも呼ばれるこの遺跡は、スペイン人から逃れるために、あるいは復讐の作戦を練るために、インカの人々が作った秘密都市だったともいわれている。 マチュピチュの総面積は5平方km、その約半分の斜面には段々畑が広がり、西の市街区は神殿や宮殿居住区などに分かれ、周囲は城壁で固められている。16世紀半ば、インカの人々は高度な文明が栄えたマチュピチュを残し、さらに奥地へと消えてしまう。その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、1911年にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムが初めて見た時には、草に覆われた廃虚となっていた。マチュピチュにまつわる多くの謎は、未だに解明されていない。

●リマ歴史地区

 リマのおもな見どころとなる歴史的建造物は旧市街に集中している。1549年に建立されたサント・ドミンゴ教会・修道院は、過去の地震にも耐え、外側は建設当時とほとんど変わらないとされる立派な建物。 征服者フランシスコ・ピサロが建てたカテドラルや17世紀前半の美しいセビリアンタイルが貼られたサン・フランシスコ教会・修道院、ペルー軍の守り神、聖女メルセーが祀られたラ・メルセー教会も見どころのひとつ。

   (リマ大聖堂)

●クスコ市街
クスコは11~12世紀頃に建設され、太陽神を崇拝するインカ帝国の都として栄えた。ケチュア語で「ヘソ」を意味するこの都市には、帝国内のあらゆる地方から人々が集まり、まさに世界の中心地とされていた。 しかし、16世紀になるとスペイン人の征服がクスコにも及び、インカ帝国は一瞬にして崩壊する。征服者たちは、太陽の象徴である黄金で彩られた神殿や宮殿を破壊し、金銀を手当たりしだい略奪してインカが築いた精巧な礎石の上にスペイン風の教会を建設。インカ時代の美しく精巧な石組みと、スペインのコロニアルな建築物が融合したクスコには独特な雰囲気が漂う。

   (クスコ市街)

●ボリビアBOLIVIA 多彩な地形と南米の絶景

●世界遺産「ナスカの地上絵」


 「ティワナク: ティワナク文化の宗教的・政治的中心地」ボリビアにある世界遺産。また、その時代の社会や文化をさす言葉としても用いられている。2000年に世界遺産に登録された。インカ帝国誕生の遙か昔、600年以上にわたり繁栄したティワナク文化。その中心となったのがティワナクである。特徴は巨石文化であるということだが、全体の4%しか発掘されていなく、まだまだ謎が多い。発見者の名前をとってベネットと呼ばれる高さ7.3mの巨石像は、本格的な保護のため、ティワナクの博物館に移送された。
 

世界中が憧れる南米の絶景「ウユニ塩湖」
 「奇跡の絶景」「天空の鏡」と言われているウユニ塩湖は、南米ボリビアの標高約3,700M地点にたたずむ、世界最大級の塩湖。大きさは青森県より大きく、岐阜県より少し小さいくらいで、世界で最も高低差が少ない場所と言われている。12月~4月頃の雨季になると湖面にうっすらと水が張り、鏡のように辺りの風景を映し出し、朝日や夕日、星空と時間とともに表情を変えるウユニ塩湖。それはまさに「奇跡の絶景」。
 もともとアンデス山脈が隆起した際に、大量の海水がそのまま山の上に残されることとなった。さらにアルティプラーノは乾燥した気候であったこととウユニ塩原が流出する川を持たなかったことより、近隣の土壌に残された海水由来の塩分もウユニ塩原に集まって干上がることになった。こうして世界でも類を見ない広大な塩原が形成された。
塩原の周囲に住む人たちは、塩を国内外に販売している。一般の食用の塩は、湖の表面の塩を削り取り1m程度の高さの小山を作って乾燥させて作る。この塩は近年日本でも購入できるようになった。また塩原に斧で切れ目を入れ、数十cmないし1m程度の大きさの立方体に切り出すことも行なわれている。この塩のブロックは家畜放牧地にそのまま置いて家畜になめさせたり(家畜のミネラル補給)、ブロックのまま別の塩精製施設に運んだりして使われる。塩原周辺では塩のブロックを建材に使って家などを作ることもある。


 

●ラ・パス


 すり鉢状の地形となっており、最も低い中心部の標高でも約3,600mと富士山の頂上とさほど変わらない高さにある(ちなみに山頂部にある国際空港は標高4,000mを超えるところに位置しており、世界で最も高地にある空港として知られている)。このような高さのところに、人口80万人を超える都市が形成されている。憲法上の首都はスクレだが、国会議事堂をはじめ政府機関の多くはラパスに集中しており、実質的な首都の機能を担っている。
 

 

 

コルチャニ村
 

コルチャニ村のマーケットは、ウユニの町とウユニ塩湖のゲートの間にある(ウユニの空港からは約30分)小さなお土産市場で、主な商品はウユニ塩湖で取れた塩から作られる塩製品。


 

■基本情報 アンデスの歴史

壮大な地形と気候が織りなす大自然が広がる中央アンデス。そこには、紀元前3,000年を過ぎる頃、人々の定住がはじまる。
 この地域は、大きく分けてコスタと呼ばれる乾燥した海岸砂漠地域、シエラと呼ばれるアンデス山脈に広がる山岳地域、アンデス山脈東側斜面からアマゾンに続いているセルバと称される森林地域からなる。変化に富んだ自然環境を巧みに利用しながら、古代の人々は次第に社会を確立していった。プレ・インカからインカにかけて受け継がれた優れた文化は、今から4,000年ほど前から築かれてきたとされる。

 人々は温暖な海岸地帯で最初の文化を開き、のちに肥沃な土地があるアンデスの谷間へと移り住む。灌漑用水路を作り、遠くアンデスの山々から水を引き、高度差を利用してジャガイモをはじめとするさまざまな植物が栽培された。
 紀元前1,500年を過ぎると、骨や石を細工した装飾品や土器、織物などを制作する技術が広まる。美しい装飾品で彩られた神殿中心の社会が拡大し、また、自然崇拝の宗教的統一を果たしたことで、独自の優れた文化へ発展した。
 しかし、悠久のアンデス文化を知る重要な手がかり“文字”の発見は未だにされていない。明確な年号を伴った区分ができないアンデスの歴史だが、地道な研究によって少しずつ明らかになってきている。




 
■日程表
日程:①2018年1月22日(月)~2月 1日(木)11日間
       ②2018年2月 5日(月)~2月15日(木)11日間
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